Harmony入会のきっかけ編(家族との別れ4)
前回からの続き
妻に電話をかけ続け、その他には私は何もできません。
そして、年を越しました。それでも妻は帰って来ません。
この時に、私が感じていた事は、「子供がどんどん大きくなってしまう」でした。
子供の事ばかりになりますが、一番可愛い時期をどんどん奪われていくような気分でした。
妻が日本から逃げる前には、「今年は下の子供を、妻の両親に会わせるために帰らせなければならない」と思っていました。
子供が小学校に上がる前は、妻が一度帰国すると三か月は国に居させました。
だから、三か月は子供に会えない事を覚悟していました。
それが、「地震の影響でもう三か月増えただけだ。」と自分を納得させていたのですが、それがもう十か月も会えていないのです。
時々写真を送ってもらいましたが、特に一歳半だった下の子は、どんどん大きくなっていきました。
そして、私の母親も可哀想でした。待てども待てども孫に会えない、当時は母には私の子供二人だけが孫でしたから、それも80歳を超えてからやっと会うことのできた孫、家が離れていたから月に一度位しか合わせてあげていませんでした。
「もっと合わせていれば良かった…….。」 最後に母が孫に会ったのは地震直後の休みの日、「母も不安だろうから孫に合わせよう」と母の家に行きました。
その直後帰国してしまったのです。
母の孫への最後の印象は、「この移動式のちゃぶ台に乗って踊った姿、危ないのでテーブルを押さえていたよ。」と母はいいます。
母とはこのままではもう合わせられない、もう高齢なのであちらに行く事はとても無理です。
ロシアと言っても国は広く、妻の故郷はヨーロッパ側、他のヨーロッパの国まで数百キロメートルほどの所で、かなりヨーロッパよりです、日本からかなり遠い所です。
この頃の私は、寂しさと不安、母への申し訳なさ、自分ではどうすることもできない状況へのいら立ち、うまく言いあらわせませんが、かなり精神面を病んでいたかのように思い出されます。
次回へ続く。