ハリコフ


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ハリコフ・教会


ハルキウ(ウクライナ語:Харківハールキウ)は、ウクライナ北東部の都市である。ハルキウ州の州都。日本ではハリコフ(ロシア語:Харьковハーリカフ)の名でも知られる。人口は約145万人。人口ではキエフに次いでウクライナで2番目に大きな都市である。ウクライナの工業の中心で、ソビエト連邦においても、モスクワ、レニングラードに次ぐ第3の工業都市であった。特に、機械工業、兵器製造(戦車等)、航空機生産、トラクター生産が盛んである。
(Wikipediaより引用)
17世紀中ごろにウクライナ・コサックによって建設された。ロシア帝国の要塞が築かれ、南部の軍事的拠点とされていた。19世紀以降、工業都市として急速に発展した。そのため、ロシア人の入植が大規模に行われ、また産業の発展に伴いユダヤ人人口も増加した。
1917年1月6日から1934年6月24日まで、ハルキウはウクライナにおけるボリシェヴィキ・ソビエト勢力の拠点とされ、同派のウクライナ人民共和国、ウクライナ社会主義ソビエト共和国、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国の首都となった。これは、ロシア革命後にウクライナ民族主義の盛んであったキエフを避けてのことであったとされる。また、ロシア人やユダヤ人を中心とする労働者人口が多かったこと、都市が十分に発達していたことなどが、都市民に支持基盤を置くボリシェヴィキにとって都合のよい点であった。
第二次世界大戦でナチス・ドイツ軍に占領されたが、1943年8月23日にソ連軍が奪回した。ドイツ軍の占領下で何万人もの住民が虐殺されたといわれる。
1805年に開設されたハルキウ大学があり、文化・教育の中心地でもある。2004年には建都350年が祝われた。
2012年にはサッカー欧州選手権が開催された。
2014年4月7日、親ロシア派グループが「ハリコフ人民共和国」の樹立を宣言する。しかし翌日には占拠していた庁舎がウクライナ政府により奪還され、70人以上が逮捕された。また地元テレビ局も親ロシア派のデモ隊に一時占拠された。同月27日には、親ロシア派と反ロシア派の衝突により14人が負傷した。また28日には、地域党に所属するケルネス市長が銃撃され重傷を負う事件が発生した。
(Wikipediaより引用)
気候はケッペンの気候区分では湿潤大陸性気候(Dfb)に属する。冬季は極端に寒くは無く、夏季も極端な暑さにはならない。1月の平均気温は-6,9℃、7月の平均気温は20,3℃である。年間の平均降水量は549mmで、6月と7月が最も多い。
(Wikipediaより引用)

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